昭和百年/戦後80年 ―分譲マンション市場の変遷―
中央
全国の分譲マンションのストック総数は713万戸に上り、国民の1割超が居住しており、マンションは社会に根付いた重要な居住形態だ。2025年は昭和改元から100年の節目だが、マンションの歴史もほぼ同じ歳月を重ねている。関東大震災や終戦からの復興、高度経済成長、バブル発生と崩壊、失われた30年の停滞期―。マンション市場は昭和から平成、令和でどのような変遷を辿ったのか。積み上がるストックの再生といった問題にデベロッパーやゼネコンはどのように向き合うのか。マンション市場に詳しい東京カンテイ顧問の井出武氏に聞いた。
★同潤会アパートに見る、『ちゃぶ台文化』からの脱却★
―日本国内の分譲マンション市場の歴史を紐解きたい。鉄筋コンクリートで造られた集合住宅の起源は、長崎県の軍艦島(端島)と言われるが、分譲マンション市場の歩みとしてはどのように捉えるか。
「1923年に発生した関東大震災では木造家屋が密集した市街地を中心に多くの住宅が焼失した。義援金で設立された財団法人同潤会が住まいを失った人々の救済策として建てたアパートが市場形成の起源と言える。住宅難を解消するという緊急性の高い施策だったわけだが、第二次世界大戦の終戦直後も、やはり住宅不足に直面した。同潤会アパートの構造や間取りに対する震災復興当時の思想が、昭和の終戦以降、平成、令和へと続く市場の基礎を作ったとも考えられる」
―戦後から今日に続く分譲マンション市場に同潤会アパートはどのような影響を与えたのか。
「重要な点が2つある。1つは鉄筋コンクリート造(RC造)にしたこと。RC造はコストも手間もかかるので、緊急的な救済策としては木造で大量に供給したほうがよいという議論も当然あったが、街中が焼け野原になったのだから、不燃住宅とするべきだという意見が強かった。その考えが後に日本住宅公団(現在のUR都市機構)の基本路線となり、受け継がれていった。もう1つは間取りや生活動線を洋風スタイルにしたこと。例えば、かまどは低い位置にあるから基本的にしゃがんで炊事をしていたが、シンクが入り、立つスタイルに変わった。青山や代官山など立地がよい物件はアッパー層向けで最初から洋室があった。階段など共用部のデザインもお洒落で、かなりモダンなものを目指していた。ちゃぶ台ではなく、椅子に座り食卓を囲む生活、ちゃぶ台文化からの脱却が進んだ」
―畳敷きの1部屋に全ての生活用具が揃う『ちゃぶ台文化』。戦後はその文化も大きく変わった。
「戦後の混乱期から復興期は住宅難に直面し、短期間に大量の住宅をしかも低廉な家賃で供給するという社会的命題があった。建築学者の西山夘三氏が当時、合理的な暮らし方として間取りの『食寝分離』を唱えた。『ちゃぶ台をひっくり返さないと、日本人の生活の質は向上しない』と声高に叫んだ。建築学者の鈴木成文氏は、台所を広く確保して食事するダイニングキッチン(DK)を考案した。この間取りが公団の標準になり、その後『nDK』が普及した。当時は焦土からの復興、そして高度経済成長期へ向かう時代。人々の暮らしそのものに勢いがあったから住生活の大きな変化にも対応できたのだろう」
★供給と金融、マンションブームの両輪に★
―1950年代に分譲マンションが誕生し、高度経済成長の波に乗ってマンションブームが到来した。
「民間初の分譲マンションと言われる四谷コーポラスが珍しかったのは、標準管理規約と区分所有法の概念が契約書に盛り込まれたこと。民法だけではマンションの権利関係や管理運営を規定するには不十分で、62年に区分所有法が制定された。それまで金融機関は住宅ローンをマンションに適用できなかった。専有部分や共用部分に法律上の根拠がなく、担保を取れるのか不明だったので、金融機関は購入資金を貸せないという話だった。物件を担保にローン形成が可能になったことは非常に大きかった」
「高度経済成長時代に2年から3年周期でブームが到来し、都心では億ションが誕生したりと高級物件の分譲、郊外では団地供給という大きな流れが続いた。地方から東京や大阪に労働者が集中して、都心の人口が爆発的に増えた。中心部だけでは急激な人口増に対応できず、東京では周辺の神奈川や千葉、埼玉に団地が勢いよく広がっていった。住宅不足を短期間で解消するため団地型の集合住宅が普及した」
「団地が大量に供給された要因を考えると、日本経済が高度成長の波に乗って、生活者の所得が伸びたのが最大の理由だ。購入できる人が増え、ブームが起きた。また、戦後間もない50年に発足した住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)が果たした役割も大きかった。公庫は戦後の住宅不足を解消するために設立され、旺盛な住宅需要を資金面で支えてきた。ローンを組まずに住宅を購入できる人は昔も今も多くない。公庫の融資制度が始まっても、都心の高級物件ならともかく、多くの勤労者はローンを組むのが一般的だった。供給と金融が揃わないとブームにならない。今日にも共通して言えることだ」
―右肩上がりとは言え、急カーブの経済成長で住宅供給に歪みも生じた。「西洋風長屋」と言われた団地は狭い家に多人数が同居。良好な居住環境が求められる中、ニュータウン構想が進展した。
「団地開発は郊外へ無秩序に膨張するスプロール化を招いたと指摘された。日本で初めての大規模な開発である千里ニュータウン(NT)では、欧米の事例を参考に最初にマスタープランを作成し、道路や公園、学校などを総合的に配置した。60年代から70年代以降、郊外でNT開発が活発になった」
★バブル経済、マンションブームへの功罪★
―バブル経済下では地価が高騰し、空前の投資ブームが到来した。都心マンションの供給傾向は高価格帯へシフト、超高層化、設備仕様のハイグレード化が顕著になった。
「分譲マンションが投機の対象になってしまった。株式に一定の収益力があるように、マンションも賃貸で運用すれば家賃収入が見込める。当時は価格がどんどん跳ね上がり、財テクという言葉が流行った。いまヴィンテージマンションと称される物件は、実はバブル期に建てられたものが多い。高級になって、中間層の手が届く値段じゃなくなった意味では特別感がある。バブル期に分譲された物件が市場におけるグレードを大きく引き上げたということは言える」
―やがてバブルが崩壊して地価は下落し、時代はいわゆる『失われた30年』の低成長期へと移り変わる。
「日本経済にとってバブル崩壊は非常に深刻だった。バブルに踊った人たちは一夜にして不良債権を抱えてしまった。まさにバブルが弾けて経済的に大きなダメージを負ったわけだが、不動産の価格は下がった。バブル最盛期に価格が高くなりすぎて、手が届かなくなった都心のマンションが庶民の手に内に戻ってきた。都心の駅近でマンションが供給され、しかも価格が安い-。当然、人気商品になった。首都圏の供給戸数が年間7万、8万戸といった時代が到来した」
「幾多のブームの中で地震や台風など大規模災害を経て、マンションは災害に強いイメージができ、安全・安心の信頼度が高まった。第6次ブームの中で、一戸建て住宅よりもマンションを購入するという流れができた。昔は庭付き一戸建て住宅が『住宅双六(すごろく)』の上がりだったが、ブームを経るうちに都心のマンションが上がりのような住宅思想の転換が起きた。こうした購入者の心理の変化もブームが長く保たれてきた要因だ」
★どうなる、今後のマンション市場★
―2000年代に入ると、リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルス感染症拡大など、市場に大きな影響を与えた出来事が続き、私たちは生活様式の変化を余儀なくされた。マンションの商品企画も大量供給時代の画一的な仕様から様変わりした。
「03年頃に反転期があったと見ている。00年代以降はマイナス方向に振れそうなインパクトもあったが、小さなブームを繰り返し回復が早かった。価格はすぐに戻る、あるいは以前より上昇するという現象が繰り返され、マンションの市場評価は相当高いという印象だ。建築技術の向上は目を見張るものがある。超高層、耐震性などゼネコンの技術革新は第7次、8次ブームの形成に大きく貢献した。ただ、12年以降は価格が大幅に上昇し、バブル期のように、庶民の手が届かない市場に変わり、今に至っている。市場規模は年々縮小している。新築の供給戸数は減る一方で、おそらく首都圏で年間8万戸などという時代は来ない。市場性を見ればもう少し供給があってもいいが、価格の問題が大きい」
―25年は首都圏で2万戸を割り込むのではないかと市場の縮小を懸念する声も聞かれる。一方、価格は建築費やエネルギー価格、労務費の上昇もあって、過去最高水準で推移している。
「価格上昇の主な要因は、資材価格の高騰や労務費の上昇が大勢を占めており、施工を担うゼネコンに起因する部分も大きい。建築を依頼するデベロッパーと請け負うゼネコン、どちらかでなく、両者が意識を変えないと価格は沈静化しないし、供給も増えない。差し迫った問題だ」
「一次取得者の手に届かない価格設定になると、資金に余裕のある人に供給する傾向が強まる。マンションが浮世離れして富裕層だけのものになると、将来の市場はどうなるのか。売り手は真剣に考えるべきだ。本来、一次取得者の体力に応じて購入できるものであるべきなのに手が届かない。生活者が住宅を手に入れられないという状況は辛い。一方で、世帯構成は変化している。かつては4人家族が標準だった。例えば公団が供給する間取りは4人家族が基本だった。いま4人家族は少数派で、単身世帯が多い。市場の成熟化に伴い、今後も工夫を凝らした物件が出てくるだろう」
★2つの老いにどう向き合うか、ゼネコンに期待される役割★
―足元では老朽物件、入居者の高齢化という「2の老い」にどう対応するかが社会課題となっている。来年4月に管理や再生を円滑化する関連法の改正を控えているが、法改正で建て替えなど再生はしやすくなるのか。
「少なくとも再生がスムーズになるのは間違いない。多数決要件や議決要件の緩和で決議が成立しやすくなり、例えば耐震性が不足するマンションでは5分の4以上から4分の3以上の賛成へと緩和される。他にも隣接地を取り込む建て替えなど、再生のメニューが増える。管理は意外に行き届いてるものが多いと感じるが、2つの老いは確実に進行する。法改正を機にストック問題が前進することを期待したい」
「建て替え実績は東京都心に偏在している。利便性が高く、保留床を十分に確保できるといった条件に恵まれた団地は建て替えが進む。一方で老朽物件は全国各地に点在する。高度経済成長期に供給された団地は郊外に多い。こうした物件が事業に行き詰まっている現状を直視し、地方物件の再生を後押しする施策が求められる」
―超高齢化・人口減少時代におけるゼネコンの役割を聞きたい。
「デベロッパー、ゼネコン、管理会社、そして住民の4者がどのように事業にコミットするか。例えば長期的な視点で維持管理は誰がやるべきか。再生を検討する際はどのように建て替え、どのような部材を使うのかといった情報をオープンにしたほうがいい。建て替えだけでなく修繕もやりやすくなる。ゼネコンに期待されている役割だろう」
「マンションにも寿命があり、いつか終焉を迎える。難しい話かもしれないが、デベロッパーは建てた当初から建て替えや取り壊しといった出口を見据えて事業化し、購入者も終の棲家とするのか、いずれ売却するのかなど、出口を考えた上で購入するような意識付けが必要になる。解体費用を新築時の価格に含めて供給するとしたら、最初に買った人が負担することになるが、その考えがこの先も成立するかどうか。買う人が途中で処分する可能性もあるわけで、そうすると2次取得者が負担することになる。最終的に誰が費用を負担するのか、負担者が複数であれば割合はどうなのか。いまは受益者負担の考えが浸透しており公平に感じる人は多いだろうが、建て替え費用まで含めた議論をしている物件は少ないはずだ。老朽物件は加速度的に増えていく見通しであり、非常に大きな問題だ。関係者と再生を議論するにしても、ゼネコンが技術やノウハウを生かせる余地は大いにある」
【略歴】井出武(いで・たけし)1964年生まれ。89年マンション業界団体に入社。不動産市場の調査・分析、団体活動に従事し、2001年東京カンテイ入社。不動産市場の調査・研究、原稿執筆、講演業務などを行う。テレビ、ラジオなどメディア出演多数。25年より同社顧問。東京都出身。
(聞き手は編集・デジタル局長 小澤和裕)
※インタビュー記事の要約版を新聞に掲載しています
