昭和百年/戦後80年

昭和百年/戦後80年      
①分譲マンション市場の変遷(2025/9/26掲載)
②老朽マンションの行方(2025/10/3掲載)
③変わるゼネコンの役割(2025/10/10掲載)

 

①-1 供給と金融、ブームの両輪に
東京カンテイ顧問 井出武氏に聞く 2025/9/26

 

 全国の分譲マンションのストック総数は713万戸に上り、国民の1割超が居住しており、マンションは社会に根付いた重要な居住形態だ。2025年は昭和改元から100年の節目だが、マンションの歴史もほぼ同じ歳月を重ねている。関東大震災や終戦からの復興、高度経済成長、バブル発生と崩壊、失われた30年の停滞期―。マンション市場は昭和から平成、令和でどのような変遷を辿ったのか。積み上がるストックの再生といった問題にデベロッパーやゼネコンはどのように向き合うのか。マンション市場に詳しい東京カンテイ顧問の井出武氏に聞いた。(聞き手は編集・デジタル局長 小澤和裕)
※インタビュー記事の要約版を新聞(東京・神奈川・大阪・岡山・四国版)に掲載しています

【略歴】井出武(いで・たけし)

 1964年生まれ。89年マンション業界団体に入社。不動産市場の調査・分析、団体活動に従事し、2001年東京カンテイ入社。不動産市場の調査・研究、原稿執筆、講演業務などを行う。テレビ、ラジオなどメディア出演多数。25年より同社顧問。東京都出身。

 

同潤会アパートに見る、『ちゃぶ台文化』からの脱却

 
―日本国内の分譲マンション市場の歴史を紐解きたい。鉄筋コンクリートで造られた集合住宅の起源は、長崎県の軍艦島(端島)と言われるが、分譲マンション市場の歩みとしてはどのように捉えるか。

「1923年に発生した関東大震災では木造家屋が密集した市街地を中心に多くの住宅が焼失した。義援金で設立された財団法人同潤会が住まいを失った人々の救済策として建てたアパートが市場形成の起源と言える。住宅難を解消するという緊急性の高い施策だったわけだが、第二次世界大戦の終戦直後も、やはり住宅不足に直面した。同潤会アパートの構造や間取りに対する震災復興当時の思想が、昭和の終戦以降、平成、令和へと続く市場の基礎を作ったとも考えられる」

 
―戦後から今日に続く分譲マンション市場に同潤会アパートはどのような影響を与えたのか。

「重要な点が2つある。1つは鉄筋コンクリート造(RC造)にしたこと。RC造はコストも手間もかかるので、緊急的な救済策としては木造で大量に供給したほうがよいという議論も当然あったが、街中が焼け野原になったのだから、不燃住宅とするべきだという意見が強かった。その考えが後に日本住宅公団(現在のUR都市機構)の基本路線となり、受け継がれていった。もう1つは間取りや生活動線を洋風スタイルにしたこと。例えば、かまどは低い位置にあるから基本的にしゃがんで炊事をしていたが、シンクが入り、立つスタイルに変わった。青山や代官山など立地がよい物件はアッパー層向けで最初から洋室があった。階段など共用部のデザインもお洒落で、かなりモダンなものを目指していた。ちゃぶ台ではなく、椅子に座り食卓を囲む生活、ちゃぶ台文化からの脱却が進んだ」

 

在りし日の同潤会青山アパートメント

在りし日の同潤会青山アパートメント。ケヤキ並木とともに、昭和から平成にかけて表参道を象徴する存在だった。跡地に建つ表参道ヒルズの一角には外観などを再現した同潤館があり、当時を偲ぶ人が多く訪れる

 
―畳敷きの1部屋に全ての生活用具が揃う『ちゃぶ台文化』。戦後はその文化も大きく変わった。

「戦後の混乱期から復興期は住宅難に直面し、短期間に大量の住宅をしかも低廉な家賃で供給するという社会的命題があった。建築学者の西山夘三氏が当時、合理的な暮らし方として間取りの『食寝分離』を唱えた。『ちゃぶ台をひっくり返さないと、日本人の生活の質は向上しない』と声高に叫んだ。建築学者の鈴木成文氏は、台所を広く確保して食事するダイニングキッチン(DK)を考案した。この間取りが公団の標準になり、その後『nDK』が普及した。当時は焦土からの復興、そして高度経済成長期へ向かう時代。人々の暮らしそのものに勢いがあったから住生活の大きな変化にも対応できたのだろう」

 

供給と金融、マンションブームの両輪に

 

日本初の民間分譲マンションと言われる四谷コーポラス

日本初の民間分譲マンションと言われる四谷コーポラス

 

 
―1950年代に分譲マンションが誕生し、高度経済成長の波に乗ってマンションブームが到来した。

「民間初の分譲マンションと言われる四谷コーポラスが珍しかったのは、標準管理規約と区分所有法の概念が契約書に盛り込まれたこと。民法だけではマンションの権利関係や管理運営を規定するには不十分で、62年に区分所有法が制定された。それまで金融機関は住宅ローンをマンションに適用できなかった。専有部分や共用部分に法律上の根拠がなく、担保を取れるのか不明だったので、金融機関は購入資金を貸せないという話だった。物件を担保にローン形成が可能になったことは非常に大きかった」

 

「高度経済成長時代に2年から3年周期でブームが到来し、都心では億ションが誕生したりと高級物件の分譲、郊外では団地供給という大きな流れが続いた。地方から東京や大阪に労働者が集中して、都心の人口が爆発的に増えた。中心部だけでは急激な人口増に対応できず、東京では周辺の神奈川や千葉、埼玉に団地が勢いよく広がっていった。住宅不足を短期間で解消するため団地型の集合住宅が普及した」

 

日本で初めてとされる億ションのコープオリンピア

日本で初めてとされる億ションのコープオリンピア。
若者でにぎわう原宿駅前に今も堂々と存在感を放つ

 

 

「団地が大量に供給された要因を考えると、日本経済が高度成長の波に乗って、生活者の所得が伸びたのが最大の理由だ。購入できる人が増え、ブームが起きた。また、戦後間もない50年に発足した住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)が果たした役割も大きかった。公庫は戦後の住宅不足を解消するために設立され、旺盛な住宅需要を資金面で支えてきた。ローンを組まずに住宅を購入できる人は昔も今も多くない。公庫の融資制度が始まっても、都心の高級物件ならともかく、多くの勤労者はローンを組むのが一般的だった。供給と金融が揃わないとブームにならない。今日にも共通して言えることだ」

 

 
―右肩上がりとは言え、急カーブの経済成長で住宅供給に歪みも生じた。「西洋風長屋」と言われた団地は狭い家に多人数が同居。良好な居住環境が求められる中、ニュータウン構想が進展した。

「団地開発は郊外へ無秩序に膨張するスプロール化を招いたと指摘された。日本で初めての大規模な開発である千里ニュータウン(NT)では、欧米の事例を参考に最初にマスタープランを作成し、道路や公園、学校などを総合的に配置した。60年代から70年代以降、郊外でNT開発が活発になった」

 

花畑団地(提供/UR都市機構) 

花畑団地(第1次ブーム)。1964年撮影 ※提供/UR都市機構

 

 

バブル経済、マンションブームへの功罪

 
―バブル経済下では地価が高騰し、空前の投資ブームが到来した。都心マンションの供給傾向は高価格帯へシフト、超高層化、設備仕様のハイグレード化が顕著になった。

「分譲マンションが投機の対象になってしまった。株式に一定の収益力があるように、マンションも賃貸で運用すれば家賃収入が見込める。当時は価格がどんどん跳ね上がり、財テクという言葉が流行った。いまヴィンテージマンションと称される物件は、実はバブル期に建てられたものが多い。高級になって、中間層の手が届く値段じゃなくなった意味では特別感がある。バブル期に分譲された物件が市場におけるグレードを大きく引き上げたということは言える」

 
―やがてバブルが崩壊して地価は下落し、時代はいわゆる『失われた30年』の低成長期へと移り変わる。

「日本経済にとってバブル崩壊は非常に深刻だった。バブルに踊った人たちは一夜にして不良債権を抱えてしまった。まさにバブルが弾けて経済的に大きなダメージを負ったわけだが、不動産の価格は下がった。バブル最盛期に価格が高くなりすぎて、手が届かなくなった都心のマンションが庶民の手に内に戻ってきた。都心の駅近でマンションが供給され、しかも価格が安い-。当然、人気商品になった。首都圏の供給戸数が年間7万、8万戸といった時代が到来した」

 

「幾多のブームの中で地震や台風など大規模災害を経て、マンションは災害に強いイメージができ、安全・安心の信頼度が高まった。第6次ブームの中で、一戸建て住宅よりもマンションを購入するという流れができた。昔は庭付き一戸建て住宅が『住宅双六(すごろく)』の上がりだったが、ブームを経るうちに都心のマンションが上がりのような住宅思想の転換が起きた。こうした購入者の心理の変化もブームが長く保たれてきた要因だ」

 

建設進む多摩ニュータウン(提供/東京都)

建設進む多摩NT(空撮)。1971年1月27日撮影 ※提供/東京都

 

多摩NT(提供/UR都市機構)

多摩NT(第3次ブーム)。1973年撮影 ※提供/UR都市機構 

 

 

どうなる、今後のマンション市場

 
―2000年代に入ると、リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルス感染症拡大など、市場に大きな影響を与えた出来事が続き、私たちは生活様式の変化を余儀なくされた。マンションの商品企画も大量供給時代の画一的な仕様から様変わりした。

「03年頃に反転期があったと見ている。00年代以降はマイナス方向に振れそうなインパクトもあったが、小さなブームを繰り返し回復が早かった。価格はすぐに戻る、あるいは以前より上昇するという現象が繰り返され、マンションの市場評価は相当高いという印象だ。建築技術の向上は目を見張るものがある。超高層、耐震性などゼネコンの技術革新は第7次、8次ブームの形成に大きく貢献した。ただ、12年以降は価格が大幅に上昇し、バブル期のように、庶民の手が届かない市場に変わり、今に至っている。市場規模は年々縮小している。新築の供給戸数は減る一方で、おそらく首都圏で年間8万戸などという時代は来ない。市場性を見ればもう少し供給があってもいいが、価格の問題が大きい」

 
―25年は首都圏で2万戸を割り込むのではないかと市場の縮小を懸念する声も聞かれる。一方、価格は建築費やエネルギー価格、労務費の上昇もあって、過去最高水準で推移している。

「価格上昇の主な要因は、資材価格の高騰や労務費の上昇が大勢を占めており、施工を担うゼネコンに起因する部分も大きい。建築を依頼するデベロッパーと請け負うゼネコン、どちらかでなく、両者が意識を変えないと価格は沈静化しないし、供給も増えない。差し迫った問題だ」

 

「一次取得者の手に届かない価格設定になると、資金に余裕のある人に供給する傾向が強まる。マンションが浮世離れして富裕層だけのものになると、将来の市場はどうなるのか。売り手は真剣に考えるべきだ。本来、一次取得者の体力に応じて購入できるものであるべきなのに手が届かない。生活者が住宅を手に入れられないという状況は辛い。一方で、世帯構成は変化している。かつては4人家族が標準だった。例えば公団が供給する間取りは4人家族が基本だった。いま4人家族は少数派で、単身世帯が多い。市場の成熟化に伴い、今後も工夫を凝らした物件が出てくるだろう」

 

 ▲「デベロッパーとゼネコン、両者が問題認識を共有しないといけない」と語る井出氏

 

2つの老いにどう向き合うか、ゼネコンに期待される役割

 
―足元では老朽物件、入居者の高齢化という「2の老い」にどう対応するかが社会課題となっている。来年4月に管理や再生を円滑化する関連法の改正を控えているが、法改正で建て替えなど再生はしやすくなるのか。

「少なくとも再生がスムーズになるのは間違いない。多数決要件や議決要件の緩和で決議が成立しやすくなり、例えば耐震性が不足するマンションでは5分の4以上から4分の3以上の賛成へと緩和される。他にも隣接地を取り込む建て替えなど、再生のメニューが増える。管理は意外に行き届いてるものが多いと感じるが、2つの老いは確実に進行する。法改正を機にストック問題が前進することを期待したい」

 

「建て替え実績は東京都心に偏在している。利便性が高く、保留床を十分に確保できるといった条件に恵まれた団地は建て替えが進む。一方で老朽物件は全国各地に点在する。高度経済成長期に供給された団地は郊外に多い。こうした物件が事業に行き詰まっている現状を直視し、地方物件の再生を後押しする施策が求められる」

 

建て替え後の四谷コーポラス

建て替え後の四谷コーポラス

 

 

―超高齢化・人口減少時代におけるゼネコンの役割を聞きたい。

「デベロッパー、ゼネコン、管理会社、そして住民の4者がどのように事業にコミットするか。例えば長期的な視点で維持管理は誰がやるべきか。再生を検討する際はどのように建て替え、どのような部材を使うのかといった情報をオープンにしたほうがいい。建て替えだけでなく修繕もやりやすくなる。ゼネコンに期待されている役割だろう」

 

「マンションにも寿命があり、いつか終焉を迎える。難しい話かもしれないが、デベロッパーは建てた当初から建て替えや取り壊しといった出口を見据えて事業化し、購入者も終の棲家とするのか、いずれ売却するのかなど、出口を考えた上で購入するような意識付けが必要になる。解体費用を新築時の価格に含めて供給するとしたら、最初に買った人が負担することになるが、その考えがこの先も成立するかどうか。買う人が途中で処分する可能性もあるわけで、そうすると2次取得者が負担することになる。最終的に誰が費用を負担するのか、負担者が複数であれば割合はどうなのか。いまは受益者負担の考えが浸透しており公平に感じる人は多いだろうが、建て替え費用まで含めた議論をしている物件は少ないはずだ。老朽物件は加速度的に増えていく見通しであり、非常に大きな問題だ。関係者と再生を議論するにしても、ゼネコンが技術やノウハウを生かせる余地は大いにある」

 

 

 

 

①-2 “名駅再開発きっかけ”投資拡大に期待
東京カンテイ名古屋支店 井上尚支店長に聞く 2025/9/26

 

 全国の分譲マンションのストック総数は713万戸。国民の1割超が居住しており、マンションは今や、社会に根付いた重要な居住形態だ。昭和から平成、令和と、分譲マンションをめぐる環境は常に変化を続けている。東京カンテイ名古屋支店の井上尚支店長に、東海エリアにおけるマンション市場の動向を聞いた。(聞き手は中部支社報道部 島田祐輔)
※インタビュー記事の要約版を新聞(静岡・中部版)に掲載しています

 

▲東京カンテイ名古屋支店 井上尚支店長

 

 

―東海4県におけるマンション開発の現状を聞きたい。

 「20年ほど前から名古屋市内を中心に供給戸数が一気に伸びたが、ここ数年は勢いに陰りが見える。開発自体は今も進んでいるものの、踊り場と言って差し支えない状況だろう。3月の地価公示では『建築費の高騰で収益性の確保が難しくなり、各事業者が慎重になっている』と指摘されたが、その通りだろう。東京・大阪では再開発への期待感が投資をけん引している一方、東海エリアではコスト増から供給側・需要側ともに慎重になってしまっている」

 

 

―マンション開発のコストは高止まりしている。

 「近年では、グロス価格を抑えるために面積を狭くするパターンが散見されるが、この場合、坪単価はどうしても上昇してしまう。東京カンテイが2022年に算出したデータでは、名古屋市全体の平均値が一坪当たり244万円となった。私個人の感覚ではあるが、現在の坪単価は、ここから50~60万円ほど上昇しているのではないか。一つ一つのコスト増が大きな単価上昇につながり、結果として各デベロッパーが高所得者狙いの開発に向かってしまう。現状はそうした(高所得者の)需要が一巡し、ネガティブな方向で市場が落ち着いてしまっていると感じる」

 

 

―消費者の需要に変化はあるか。

 「立地や仕様に対するニーズは近年、確実に変わった。例えば、一昔前の名古屋市内では駐車場の収容台数が重視されていたが、現在は最寄り駅までの距離を重視する傾向だ。その駐車場も、ミニバンのような大型車への対応が求められている。他には各階ごみ置き場やセキュリティー面など、生活の質を上げるような設備ニーズも一層高まったと言えるだろう。ただ、これは全体的な傾向の話であり、従来人気の高い中区もしくは千種区といった〝東山ブランド〟には、依然として強さを感じる」

 

▲千種駅前では積水ハウスにより、高さ約190㍍のマンション開発が計画されている

 

 

―確かに東山線の沿線、特に名古屋駅から藤が丘駅方面は、同じ名古屋市内でも他と比べて格が上の感がある。

 「例えば名古屋駅周辺に勤務する人がマンションを買おうとした場合、上社駅(名古屋市名東区)周辺と一宮駅(一宮市)周辺が候補になると、ほぼ間違いなく上社駅周辺が選ばれる。一宮の方が名古屋駅までの勤務時間が短く、かつ同じ値段で良いマンションに住めるにも関わらずだ。『人気エリアとはそういうもの』と言ってしまえばそれまでだが、さまざまなコストが上がる現状では消費者側もリセール面での失敗を恐れ、結果的に人気エリアへの需要が集中している」

 

 

―東京・大阪と比べた際の〝地域性〟のような部分はあるのか。

 「東京にも大阪にも、利便性やコストを度外視してでも『ここに住みたい』と思わせる人気エリアは存在する。〝地域性〟というのも多少はあるだろうが、この二つと中部圏との大きな違いは、再開発におけるスピード感ではないか。中部圏でもリニア開業を見越して各地で再開発計画が進んでいる。一方、コロナ禍などさまざまな理由から、順調に進んでいる計画ばかりでないというのが現状だ。そういった計画の遅れから東京や大阪ほど投資が流入せず、結果としてマンション開発にも閉塞(へいそく)感が漂っている」

 

▲名鉄都市開発が岐阜駅前に開発した『メイツ岐阜』

 

 

―リニア開業を見越したもので言うと、名古屋駅周辺の再開発は2026年度から着工する見通しとなった。

 「名古屋を中心とした中部圏経済のこれからを考えると〝リニアインパクト〟という起爆剤は絶対に必要だ。ただ、リニア開業の遅れを理由に名古屋に拠点を置く企業が投資を渋っていれば、今後も現状のまま推移していくことになるだろう。今回、経済の中心となる名古屋駅周辺の再開発計画が本格化したことで、中部圏全体の投資が加速する可能性は十分にある」

 

 「もう1点、中部圏のマンション開発におけるトピックとして、定期借地権付き分譲マンションの開発の加速を挙げておきたい。『何十年後かには更地になって戻ってくる』というのは地主にとってはリスクが低く、魅力的な案となるだろう。また消費者側にとっても〝老朽化したマンションを相続させる〟というリスクを避けることができる。地主とデベロッパー、消費者の3者にとって魅力的な選択肢になるのではないか」

 

 

―中部圏のマンション開発の見通しは。

 「比較的楽観視している面もある。リニア開業は、ある意味で『国家プロジェクトとして名古屋が地方経済の中心になることを期待されている』と言っても差し支えないだろう。加えて岐阜や三重、静岡は、工場を中心とした小さな経済圏が確立されており、リニア開業はビジネス面だけでなく、観光やマンション開発にも影響を与えるのではないだろうか。もちろん、各事業者が行動に移すことが必須ではある。ただ、このエリアに住む1人の人間として、今後を楽しみに思っている」

 

 

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(電子版レイアウトは井上裕太郎が担当)