連載『建設業皆保険時代』
企業単位で許可業者の100%、労働者単位で製造業相当(90%)を目指した社会保険加入対策の目標が、おおむね達成されました。建設業はようやく他産業並みの福利厚生を整えましたが、人材を獲得するために十分な処遇を用意できているわけではありません。連載企画「建設業皆保険時代」では、対策の成果を検証するとともに、今後の技能者の処遇改善に何が必要か、探ります。(全5回)
(1)全許可業者が社会保険加入 技能者の処遇改善、次の一手は 2025/10/2

社会保険(健康保険、厚生年金保険、雇用保険)への加入が建設業許可・更新の要件に追加され、5年がたった。2020年10月1日以降、社会保険に未加入の業者は許可の取得が認められておらず、有効期間5年の許可更新が一巡したことで、全ての許可業者が社会保険に加入した。国土交通省が10年以上にわたって進めた社会保険加入対策は区切りを迎え、産業全体として加入がスタンダードと言える環境が整った。
「『不良不適格業者』とは、社会保険未加入業者と定義すべきと訴えた」。建設業の社会保険未加入問題の解消を当初から訴えた芝浦工業大学の蟹澤宏剛教授は、技能者の処遇を改善するため、「社員化が必要と考えたが、それでは目的がはっきりしない。社会保険加入の有無で判断してはどうかと提案した」と当時を振り返る。
対策前の建設業は、社会保険未加入が法令違反という認識のない経営者・技能者が多く、適正に社会保険料を負担する企業が競争上不利になる矛盾を抱えていた。この問題を放置したことが、低い賃金や不安定な処遇を招き、担い手を確保できない一因になっていた。
蟹澤教授は、社保未加入の企業や技能者が多かった専門工事業の間では「『正直者がバカを見る』という空気が明らかにあった」と話す。1990年代に技能者を社員化させた専門工事会社が倒産した記憶も新しく、「社保に入ると競争に負ける、という意識が根強く残っていた」という。
国土交通省は、2011年6月にまとめた「建設産業の再生と発展のための方策2011」で、社会保険未加入企業を排除する方針を初めて盛り込み、翌12年11月から加入対策を開始した。
建設業許可・更新時には、許可部局が加入状況を確認し、未加入企業に加入を指導。許可部局の指導に従わない場合は、厚生労働省の社会保険担当部局に通報した。加入指導の結果、社会保険に加入した許可業者は、対策開始後の5年で2万3000者を超えている。
一方、企業・労働者が負担する法定福利費を確保するための対策も進めた。まず、公共工事の予定価格に事業主負担分と労働者負担分の法定福利費相当額を計上。民間工事でも、発注者から元請け、元請けから下請けへと法定福利費が支払われるよう、法定福利費を内訳明示した見積書を活用するよう、業界に再三にわたって要請した。
■経営者が「人件費と向き合うように」

対策が始まり、3保険の加入率はどのように変化したのか。公共事業労務費調査の結果によると、対策前の11年10月に84%だった企業単位の加入率は24年10月までに99%、労働者単位では57%から95%まで上昇した=グラフ。
対策の開始当初から社会保険関係の相談を受けていた社会保険労務士の加藤大輔氏(レイビルド社会保険労務士事務所)は、対策の効果を「社会保険料を支払う経営者が、技能者の人件費と真剣に向き合うようになったこと」を挙げる。
対策が始まった当時と比べようがないほど、人手不足は深刻化し、労務費の上昇も進んでいる。この問題を放置していれば、社会保険にすら入っていない建設業が、今の労働市場の中で立ち往生していたことは想像に難くない。蟹澤教授は「ようやく他産業と同じ土俵に立った」と、社会保険加入よって、建設業が処遇改善のスタートラインに立ったことを強調する。
(2)一人親方を選択する技能者 対策で見えた処遇改善の課題 2025/10/8

社会保険加入対策が進めば進むほど、法定福利費の削減を意図した一人親方化も進むという懸念は、対策の開始前からあった。「職人は独立してこそ一人前」という、この産業に根強く残っていた慣習も手伝い、社会保険に加入した社員ではなく、一人親方という働き方を選択する技能者も、特に都市部では多い。
労働者を使用しない一人親方を対象とした労災保険特別加入者は、2023年度末時点で62万4823人となり、社会保険加入対策が進んだこの10年で50%以上増加している。国土交通省の推計によると、建設現場で働く一人親方は、全ての技能者の15%超を占めているという。
社会保険に加入した場合、企業は社員の給与総支給額の約15%を目安に社会保険料の事業主負担分を支払う。年収400万円の社員であれば、年間60万円を企業が負担することになる。社員個人も給与から同じ金額を負担するため、雇用保険に加入せず、国民年金に加入する一人親方となれば、技能者本人もこうした負担を軽くできる。
社会保険労務士の加藤大輔氏(レイビルド社会保険労務士事務所)は、「これだけ経費が増えるのだから、賃金を下げると考える経営者もいた」と話す。社会保険に加入している企業にとっては社会保険料の支払いを前提に人件費を考えるのは当たり前のことだが、「未加入の企業はそれを考えずに企業を経営してきてしまった」と、こうした考え方が処遇改善の障壁になったと見ている。
技能者本人に選択を委ねつつ、企業が社会保険料を負担しない一人親方として働いてもらう。社会保険加入対策を進めてきた国交省は、適法な一人親方と区別するため、そのような労働者性の高い一人親方を『偽装一人親方』として、規制逃れを目的とした一人親方化の防止策を講じている。
一人親方という働き方が否定されているわけではない。コロナ禍以降、フリーランスに対する法制度も整えられている。建設現場でも、建設アスベスト訴訟の最高裁判決を契機として、個人事業主に対する現場の安全衛生対策も強化されてきている。
ただ、若い世代には、社会保険に加入した社員として、安定した働き方を求める傾向が強い。29歳以下の建設技能者はすでに全年齢層の1割まで低下しており、外国人技能者に対する依存度は年々高まっている。社会保険加入対策によって技能者の社員化と一人親方化という二極化が進んだ今、働き方にとらわれない、あらゆる技能者の処遇改善が求められている。
(3)法令順守は価格決定の前提 エンドユーザーの理解不可欠 2025/10/15
社会保険加入対策に合わせ、国土交通省は社会保険料の原資となる法定福利費を公共工事の積算に反映した。公共工事設計労務単価には法定福利費の労働者負担分が上乗せされ、13年3月に改訂した労務単価は、全国全職種平均で前年度比15・1%増の記録的な伸びとなった。法定福利費を予定価格に反映したことは、公共工事から未加入企業を排除する根拠にもなっている。
社会保険料の労働者負担分が労務単価に計上されたことが、その後13年間続く労務単価引き上げの原動力にもなった。労務単価はその後の13年間で85・8%上昇している。
公共工事で法定福利費を支払われるようにした上で、国交省は14年11月から社会保険未加入の企業を排除(当初は元請け・1次下請けのみ)。一方、民間工事や元請け・下請け間でも、適正に法定福利費が支払われるよう、法定福利費を内訳明示した見積書(標準見積書)の活用を求めた。
国交省の調査に対し、標準見積書を元請けに提出していると回答した下請けは、対策の開始直後の14年度時点で31・6%にとどまったが、直近の25年度には69・5%まで上昇した(いずれも一部提出含む)=グラフ。

さらに、標準見積書を元請けに提出すると、法定福利費が支払われたとの回答も79・9%に上り、法定福利費の支払いは元請け・下請け間にも定着してきている。
ただ、法定福利費を請求することが、実際の技能者の賃金である労務費のしわ寄せへとつながり、結果として処遇改善につながらないという懸念は加入対策の当初からあった。このため、昨年6月に成立した改正建設業法の労務費に関する基準では、労務費だけでなく、必要経費を明示した見積書の作成・提出を建設業の新たな商慣習として定着させる。
労務費と合わせ、見積書に明示する必要経費を法定福利費(事業主負担分)、安全衛生経費、建設業退職金共済の掛金であると明確化。これまで、標準見積書を活用して行き渡らせようとしてきた法定福利費も、建設業法上の「通常必要と認められる原価」と改めて位置付ける。
芝浦工業大学の蟹澤宏剛教授は「これまでの建設工事の価格は、建設業が法令を守ることができない前提で決まってきた側面がある」と述べた上で、「法令を守り、働く人たちを大事にしようとすれば、価格も上昇するということを発注者が理解する必要がある」と話す。「建設業は、発注者の先にいるエンドユーザーにも理解を得られる産業にならなければならない」とも強調する。
(4)他産業より低い退職金 複数掛金で「最低でも1000万円」 2025/10/22
社会保険加入によって社員化が進み、技能者の処遇は徐々に改善に向かっている。全産業平均に比べると依然として低いが、賃金は上昇を続けている。ただ、社会保険加入対策をはじめとする技能者の処遇改善の目的は、担い手の確保にある。人口減少の影響は避けられず、就業者数の減少は続いている。他産業との人材獲得競争に勝ち抜くために、今の建設業に足りないことは何だろうか。
建設業の厚生年金保険への加入率は、社会保険加入対策前の23年10月に58%だったが、直近の24年10月には96%まで上昇した(いずれも労働者単位)。しかし、生涯年収が全産業平均と比べて低い技能者にとって、退職後の生活への不安はまだまだ大きい。
こうした不安に応えるはずの建設業退職金共済は、37年間掛金納付した場合の退職金額が388万円で、中小企業の退職金額の全産業平均842万円(東京都調査)の50%に満たない。社会保険や賃金だけでなく、退職金額の充実が必要だ。
他産業に比べて退職金額が低い要因の一つは、建退共の掛金日額が単一(320円)であることにある。事業主は退職金を増額したくても増額できず、掛金月額を選択できる中小企業退職金共済へと切り替えるケースも増えている。
こうした制度上の課題を解消するため、共済契約者が掛金日額を選択できる「複数掛金」の導入が検討されている。勤労者退職金共済機構の建退共事業本部の検討会議がまとめた報告書では、建設技能者の退職金を「最低でも1000万円」とする目標を提案。掛金の上乗せができる複数掛金の導入が必要だとした。
建退共事業本部のモデルケース=図=によると、掛金日額を800円とすれば、退職金額は1154万円(45年勤務)となり、目標とする1000万円を上回る。事業主は、多能工として現場の生産性を高めた技能者や、厳しい労働条件で働く技能者に対し、退職金を上乗せできる選択肢を持てる。

複数掛金制度を選択するためには、建設キャリアアップシステム(CCUS)と連携した電子ポイント方式の活用が必須。建退共制度の根拠法である中小企業退職金共済法の改正も必要だ。
建設業は、社会保険加入の面では他産業に並んだものの、産業の特殊性を理由にこれまで手つかずだった課題が待遇面全体で見るとまだまだ多い。建設業がこの先も担い手を確保し、産業全体の持続性を高めるためには、賃金水準だけでなく、処遇全体で他産業に追いつかなくてはならない。
(5)週休2日、酷暑対応妨げる日給月給制 月給制移行は実現するのか 2025/10/29

この夏に気温35度を超える酷暑日が続いたことを受け、現場の働き方の見直しを求める声が業界内で強まっている。生産性が下がる夏季には休暇を増やし、その他の季節に労働時間を振り分けられるよう、柔軟な働き方を認めてほしい、という主張だ。ただ、日給月給制で働く技能者にとっては、夏季の収入減になる休暇の増加は簡単に受け入れられるものではない。
屋外作業が多く、働き方が天候に左右される建設業では、技能者の給与の支払いを日給月給制とする企業が依然として多い。固定給である月給制よりも、働く日数が増えると給与が増える日給月給制を望む技能者もいる。
建設産業専門団体連合会(建専連)の調査結果によると、日給月給制を採用していると回答した会員企業は全体の49・6%(2024年度時点)に上る。入社5年目までの若手を月給制とし、その後は月給制と日給月給制を本人に選択してもらう企業もいる。この企業では、結果として9割が日給月給制を選択するという。
酷暑への対応だけでなく、技能者本人の週休2日が進まない理由の一つにも、日給月給制がある。土曜日も働いている日給月給制の技能者が週休2日となれば、年間約50日分の給与が減少する。日給月給制の技能者にとって、週休2日を受け入れるのは容易ではない。企業としても、仕事の繁閑差がなくなり、安定した受注がなければ、雇用する技能者を月給制に移行させることは難しい。
ただ、日給月給制から月給制への移行を望む技能者もいるという。社会保険労務士の加藤大輔氏(レイビルド社会保険労務士事務所)は「月給制によって生活を安定させたいという若い世代が増えている」と話す。
加藤氏はまた、降雨日が休暇になることがある技能者は「休暇が確定しないと社員の有給休暇を管理できない。そのことを理由に月給制に移行したいという経営者からの相談も多い」とも話す。
建設分野で外国人を受け入れる企業には、特定技能、技能実習のいずれにも月給制の採用が義務付けられている。日給月給制で報酬が不安定になることが、技能実習生の失踪が増加した要因と見られたためだ。
この基準では、同じ企業で働く日本人が日給月給制であっても、外国人には月給制の採用を求めている。安定した報酬という視点で見ると、結果として日本人と外国人の処遇に差が出てしまっている。
全国建設業協会は10月15日に開かれた厚生労働省の審議会で、技能者の月給制移行に対する国の支援を求めた。社会保険加入対策に区切りが着いた今、働き方改革につながる月給制への移行を技能者の処遇改善の次の一手と考える業界関係者が増えている。
